昨日の森友学園の籠池氏の国会証人で色々なことが暴露された、暴露されたことが全て事実とは限らないが、政治のメカニズムというものが、古今東西変わらないことが分かった。

a)政治家=口利き
古くは田中角栄元首相のロッキード事件、口利きでワイロを貰ったからよくないので、口利きの代償として金を貰わなければ犯罪にならないようだ。貰った方は収賄、送った方は贈賄の罪が掛かる。田中一派の政治家、大方これで政治生命を絶った。のみならず大方の政治家、脳梗塞などで逝った。強いストレスが掛かるので脳溢血くらいにはなる。特捜部が捜査することになっている。
今回の安倍首相の夫人の口利きでは収賄はないようである。さらに口利きをも否定しているようだ。
では欧米はどうか。米国にも当然ある、ロビー活動は大いに有効。トランプ政権でトヨタに圧力を掛けているのは、米国自動車メーカーのロビー活動。公明正大な米国などと思わない方がよい。
隣の韓国はご存知の通り、口利きと収賄?でパククネ前大統領は罷免され、逮捕されるか否かに焦点が集まっている。

b)官僚=許認可
官僚は有力政治家の口利きで動くようである。地方政治を動かすには地方議員、中央政治を動かすには地方選出の国会議員がいる。そのために投票したとも言えるだろう。

c)政治の積極主義activismと消極主義
理想を言えば、政治家は自らの理念にしたがって政治をするのがよいに決まっている。政治家は自らの政治理念で動く、あるいは口利きの動機で動くというものと、ただ傍観するというのがある。前者はボロがでて危険、後者は安全という見解はある。将棋の世界でも攻めよりは守りが有利と言われる(名人大山康晴は守りの名人、舛田は攻めの棋士)、攻めで脇が甘くなるので突くのが勝利への道。AI棋士だってプログラムは守り的である。AI棋士同志で戦わせると、後手が有利と言われることからも分かる。後者の何もしないでいるのが減点主義の社会からは安全に映るが、石原氏の言によれば、不策の罪があるのだという、全くその通り。その辺りを国民はよく見極めないといけない、でなければよい社会は築けない。積極主義はリスクを背負うことになる覚悟が必要、リスクを恐れたら何もできない。
ところで隣の中国や北朝鮮は民主主義が未発達で国内的ブレーキのない政治の積極主義が支配しているが、国際世界もこれにブレーキが掛けられないでいる。そのような意味で、積極主義と消極主義はバランスが大切。バランスは民主主義と深く関係している。
豊洲移転問題で揉めている。昨日は、元東京都副知事の浜渦氏を呼び、証人喚問を挙行、今日は石原元知事の証人喚問が行われる。誰それがこう言った、別がああ言ったと事実が提示される。これを整理するのは至難の業。時に発言者は嘘をついたり、自己に有利なように微妙な発言をしたりする。それらを並べても有意な結果は導かれないだろう。

a)分散的意思決定システム
成熟化社会では民主主義が進展していて、特定の人が一人で物事を決めることはできないようになっている。あのトランプ大統領でさえ、選挙中の演説をそのまま実行困難。北朝鮮の金正恩や中国の習近平なら可能かも知れない。色々な会議が途中にあり、その議を経て政策は実行される。誰それが決定したと言うのは難しい。あえて言えば、会社であれば社長、自治体であれば知事が全責任を負う。しかしトップが決断する事案に近いものもあれば、下から上がってきてトップが承認する事案も多々あるだろう。公式的にはトップが責任、シャープや東芝でも然り。問題は、事案が時間的に複数のトップに跨ることもあること、大きな事案であればあるほど一朝一夕にいかないから複数のトップが関わる。
集団的意思決定でも決定したことは事実で、集団決定の新たな定義をすることが必要かも知れない。
最近、中央集権的コンピュータシステムに対して、分権的コンピュータシステムが盛行していて、ブロックチェインはその表れ。これも分散したデータを突き合わせて矛盾を解消するのが技術とされる。

b)人工知能
そこで提案、Prologを使って論理演算をして意思決定の実態を見せる。誰が嘘つきかを判断させる、噓つきは一人とは限らない。嘘は付かないが別の表現をする、また不利な事実を言わない。こうした事柄に、Prologは明確な答えをある程度出してくれるだろう。世にPrologの専門家は多数いるのでそれは可能。昔はLISPと言われ、論理演算する言語、いまはPrologが盛行している。人工知能との関連で再び脚光を浴びている。ちなみにIBMのワトソンがPrologで記述されていると言われる。こうした応用領域は、豊洲に限らず、蓮池問題にもある。社会問題に人工知能が活用されることを期待する。

再び豊洲移転問題に戻れば、東京ガスの担当者も出て証言する必要があるのではないか。でなければこの問題、ウヤムヤになる。

追記(2017年3月20日)証人喚問ライブ
今日は3連休の3日目、ライブをみた方が多かったのではないか。石原元都知事、数年前に脳梗塞にみまわれ、海馬がダメになり、漢字を忘れたという衝撃的なことを暴露。首には湿布薬を貼り、襟からはみ出している。84歳の老人を呼び出して残酷に思われた。当初からヤジらしき声が飛び、派手な服装の左翼老人が退席させられた。
a)印象は石原氏は証人喚問にでてよかったと思われた。議会には豊洲の状況を調査することも必要で、議会の責任も大いにあると思われた。また4名の内で後半の2名は迫力に欠けた。物足りない印象。問い詰めるというより逃げの印象だった。
b)時間が立つと色々なことが飛び出して、移転問題は複雑化してきている。こうした状況で豊洲に移転となれば今更何をという結果になりかねない。第三の候補は時間がないし、現状にとどまることもできない、さて小池都知事の決断は如何に。
2017.03.10 北朝鮮問題
金正男氏殺害で、3月1日に石井一氏とマカオで会談予定があったことが話題になっている。それに付随して色々なことが明らかになる。

a)金日成
石井氏によると、氏の尽力により日朝平和条約締結まで話が行ったのにも関わらず、米国に反対され頓挫。訪朝した金丸氏は佐川急便から5億円のヤミ献金が発覚して失脚。金日成は絶大な権力を握っており、好機であったと石井氏は供述。当時の大統領はクリントン。

b)金正日
つぎの米国大統領、子ブッシュのイラク爆撃時に、金正日は暫く雲隠れしていた。その時、米国の武力行使を恐れていたとされる。それを避けるために当時の小泉総理と会い、拉致も認めるという柔軟な姿勢を示す。この時に米国の武力行使をちらつかせればよかったという意見もある。しかし米国にはその余裕はなかった?

c)金正恩
核開発をさらに推進、自信を強めている。米国の武力行使に折れるか、立ち向かうか、意見の分かれるところ。北京やソウルにミサイルを放つなどと言い、日本の在日米軍基地も攻撃の対象と言う。

ここにきて反省されるのは、米国の北朝鮮への読み違い、中国の中途半端な姿勢。時間は問題を解決せず、より複雑にする。
今年に入り、AIは毎日話題としてでてきている。最初の注目は将棋だった。

a)勝負事
将棋では人間の棋士はAI棋士にはトータルで勝てないらしい。羽生名人によると、AI棋士に負け将棋はできないらしい。また、「10分で勝負する」とか「30分で優勢をとる」といったこともできないだろう。ひたすら勝つことにプログラムが組まれているので、複数の目標は当面できないだろう。
また同様にポーカーでもAIは勝てたらしい。囲碁は複雑なので、今のところ五分五分のようだ。
麻雀はどうか、4人いるのでどうか。4人の内で一人、二人にAIをいれたらどうか興味深い。配牌に依存する可能性もある。

b)AI同士の対決
AI棋士同士で闘わせたらどうなる。五分五分なのか、何かの要因が勝敗を決定付けるのか。例えば、先に打った方が有利とか、また逆とか。
というのは株式投資にAIを使うらしいから、皆がAIを使って株式投資をしたらどうなるか興味深い。AIを使う人と使わない人がいるから、AI有利と判断されるかも知れないが、使うのがよいのなら誰も使うだろう、そうした時、どのような帰結になるか。

c)意外な応用
AIの応用は卑近な勝負事に留まらない。裁判、外交、犯罪捜査にも応用できる。現在のところ何れも法学部出身の人が担っている。何れはそうした事態でてくるでしょう。そうすると、b)で述べた事柄が重要性を帯びる。裁判でどの弁護士もAIを使うとどうなる?北朝鮮六カ国協議に、六カ国がみなAIを使ったらどうなる。

AIの将来はバラ色とも限らない、変な事態に陥る可能性もある。
2017.02.12 事実の検証
トランプ政権の誕生で、改めて事実とは何かが問われている。自然科学には絶対事実があるが、社会科学や人文科学の分野では相対事実しかない。したがって規範論と実証論の区別が言われる。

a)規範論と実証論の区別
こうあってほしいというのが規範的考え、それに対し在るがままの姿を実証的な考えという。特にイデオロギーでモノをいう人に規範論を振り回して事実のように言う傾向が強い。左翼系メデイアがそれ。ある識者に言わせるとマルクスの著作にも規範と事実が混在していると言う。規範は理想論、価値論であって一つとは限らず、色々な価値の考えがあって然るべき。その中に左もあって右もあってよい、それらがバランスして共存するのが健全な社会といえるだろう。その意味で共産党一党支配は危険、反対意見を封じ込める社会は危険と言えるだろう。

b)事実の揺らぎ
問題視したいのは、実証的考えに関して事実ということを巡る混乱。「AがBの頬を殴った」という事実について、Aは、「あれは殴ったのではなくて、触ったに過ぎない」というかも知れない。こうした些細な事柄についても混乱がある。日ロ間の北方領土問題について、1956年の日ソ共同宣言を巡って、日本の解釈とロシアの解釈は異なるらしい。解釈に双方の規範が影響を与えている。また「失われた10年」、「失われた20年」などという、「中国経済崩壊の危機」などという。ならば、「失われた」という意味は何を以って失われたという用語を使うのか、例えば、成長率が10年連続して1%以下であるとか、何らかの定義をする必要があろう。ならばその定義を採用して他の条件は何であっても構わないのか、等々用語の定義は困難を極める。では崩壊の定義は、こちらはもっと難しい。

コトは左様に、世の中の動勢を記述する用語は煎じ詰めると極めて混迷の域に達するのが感知せられるのである。言語の限界とでも言おうか。