いまフランスは、昨年のパリ、今年のニースとテロに悩まされている。600万人いるというアラブ系住民と如何に共存するかで揺れているかのようだ。われわれの世代、フランスというのは憧れの的であった。いまこんな惨状をみるにつけ昔日のフランスが懐かしい。その当時活躍していた人物も同時に思い出す。

a)イブ・サン=ローラン(1936年8月1日~2008年6月1日)71歳没
フランス人らしい風貌、米国や英国などにはいない。フランスのもっている何かをたたえている。言わずとしれたデザイナー。今見ても素晴らしいと言える。天賦の才がるとしか言いようがない。フランス領アルジェリア出身のファッションデザイナー。または、彼の名を冠したファッションブランドをさす。ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、ポール・ポワレらとともに20世紀のファッション業界をリード。フランス領アルジェリアのオランで、保険会社で働く中産階級の両親の家庭に生まれた。子供の頃パリに引越、1953年17歳の時にパリのシャンブル・サンディカル・ド・ラ・オート・クチュール・ファッションデザイン学校に入学。IWS主催のデザインコンクールのドレス部門においてカクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞。 そのカクテルドレスの縫製はユーベル・ド・ジバンシィで、またその時の毛皮部門の受賞者はシャネルのデザイナーであるカール・ラガーフェルドであった。この時の審査員であったVOGUEのディレクター、ミッシェル・デブリュノフは、無名の若い少年のポートフォリオを初めて見た時、新作として発表している友人のクリスチャン・ディオールと同じA-ラインの線を描くイヴに驚き、すぐディオールに紹介した。そして、独創的かつ想像力に富んだ彼のデザインは、ディオールに非常に強い感銘を与えることになる。

b)イブ・モンタン(1921年10月13日~1991年11月9日)70歳没
イタリア、トスカーナ地方のモンスンマーノ・テルメで出生、フランスで活躍した俳優・シャンソン歌手。死没地フランスサンリス。イヴ・モンタンという芸名は、子供の頃、戸外にいた彼を母親が階上から、「イーヴォ、モンタ!」(Ivo, monta!, イーヴォ、上がってきなさい!)と呼んでいたことにちなむという。農民の子として誕生。母は敬虔なカトリック教徒であったが、父が強固な共産主義支持者であったため、当時台頭してきたムッソリーニのファシスト政権を嫌い、1923年に家族でフランスに移住。マルセイユで育ち、港で働いたり、姉の経営する美容室で働くなどしていたが、次第にミュージック・ホールで歌うようになる。1944年にエディット・ピアフに見出され、彼女はモンタンにとって助言者また愛人となり、2人の関係は数年の間続いた。1945年に映画デビュー。1946年に出演した「夜の門」で、主題歌の「枯葉」を歌ってヒット。

c)アラン・ドロン (1935年11月8日)現在81歳
アラン・ドロンと言えば、「太陽がいっぱい」に代表される甘いロマン。1960年代から1980年代初めにかけ美男の代名詞的存在だった、身長184cm。パリ郊外のオー=ド=セーヌ県ソーで生まれる。父は小さな映画館を経営、母は後に結婚するナタリーと雰囲気の似た美人で、薬剤師の資格。4歳で両親が離婚、母方に預けられるも、再婚したシャルキュトリの義父と合わなかったこと、そして母親が新たに生れた娘だけを可愛がった為にアランは除け者とされる。更に実父も再婚、息子ジャン=フランソワが生まれていた。それら家庭不和に因る愛情不足が所以で女生徒と度々問題を起こし寄宿学校を転々、最終的には手に負えない問題児として感化院に入れられ、一時的に鉄格子生活をも経験。その後14歳より前述の食品店で働き始めた。自分の居場所を求めていたアランは苦肉の策としてフランス外人部隊へ志願、未成年者は保護者の承諾が必要だったが、母は義父の言うがままに承諾。この一件で、母への憎しみが根深く残る事となり、次第に女性不信という形で表れていった。こうして17歳で入隊し、マルセイユより貨物船に乗せられ、カービン銃の扱いだけを教わって落下傘部隊へ配属され第一次インドシナ戦争へ従軍。1955年休戦条約によって20歳で無事除隊後はアメリカとメキシコを放浪、1956年に帰国後はパリのモンマルトルなど方々を転々とし、サン=ジェルマン=デ=プレに落ち着いた。初めて知ったが不幸な青年時代を過ごした。

d)ジャン・ギャバン(1904年5月17日~1976年11月15日)72歳没
映画俳優、歌手としても活躍、俳優としては悪役で有名。往時のフランス映画を代表する名優、深みのある演技と渋い容貌で絶大な人気を得た。中でも食事をする芝居が上手く、日本の映画俳優である高倉健はギャバンを好きな俳優に挙げており、食事の芝居はギャバンを見て勉強したと語っている。1904年、パリに生まれる。ギャバンの父はミュージック・ホールの役者、母は歌手であり、ギャバンも自然に芝居の道へ入った。場末のミュージック・ホールで主に活動し、この時期に演技はもちろん、歌についても相当の修練を経ている。

4名の思い浮かぶフランスを代表する人物を上げたが、アラドロン以外は鬼籍の人。70歳前後で逝っている。若い頃の栄養不足からか70歳とは今から言えば若い。こうした人たちが活躍したフランス、世界はよかった、希望に満ちていた。
米国大統領にならなければどうでもいいような人物だが、権力の座についたからには、その行動方式を探らねばならぬ。欧州や中国は冷ややかに距離をおいているが、安倍首相やプーチンは秋波を送る。

a)理念型vs共同体依存
理念型人間には思われない。日本人と同じ共同体意識の強い人物に見える。父方はドイツ系の移民3世といい、白人共同体意識が強く働く。また家族共同体も大事にしていて、大統領移行チームに4名もの家族を入れている。特に出来のよい娘のイバンカを可愛がり、孫のような次男バロン10歳を演説のバックに、副大統領ペンスの横に据えている、何か何時も迷惑そうな顔で立っている。

b)才能
特別な才能があるようにはみえない。祖父の代からの不動産業を受け継ぐ。1973年のマンハッタンの鉄道操作場跡地の再開発、1980年のグランドハイヤット・ホテルの改築、1983年に5番街に立てたトランプタワーなど。ところが不動産業以外のビジネスではことごとく失敗と言われている。それらのビジネスは、カジノやリゾート開発、トランプ・エアライン、トランプ大学、トランプ・ウオッカ、トランプ・ステーキ、トランプ・アイス、NJゼネラルズ(プロフットボール)等々。それだけこうしたビジネスには才能が必要で、逆に不動産はトランプでもできる単純なビジネスと言える。
問題の大統領職だが、外交や経済は難しいので、この人の才能では切り回せないから、優秀な取巻が必要。大統領と取巻が同時にコケると大変なことになり、世界政治と経済が混乱に陥る。

やっかいな人物が米国大統領になったもの、しばらく目が離せない。
戦後米国は大量の核をベースに世界をリードしてきた。同様にロシア、中国も核保有を前提に覇権を進めようとしている。北朝鮮も同様。それに対して核をもたない国は、それを恐れて国際舞台で不利をしいられている。核をもつのは経済以外のコストが高い。日本では核保有のアレルギーは強い。核保有を議論するだけで、右翼のレッテルを貼られる。そこで一つのアイデアを述べよう。

a)運営主体
対ロシア、対中国に対しての核防御であるから、運営主体は米国、英国やフランスとなる。運営主体は、紛争地域に核を搭載した潜水艦を常時滞在させる。西太平洋ないしバルト海でよかろう。核攻撃を受けた時に、報復をするようにする。

b)防衛契約
核をもたない国は運営主体に対して年間単位の防衛契約を結び契約料を支払う。色々な防衛契約の内容により価格が異なるとする。需要国は、アジアでは日本始め多くの国は契約を結びたくなる筈だ。欧州でも同様だ。保険契約のようなもので、リスクを軽減できる。

国連が主体になれば合理的だが、核保有をしている常任理事国が反対するだろう。こんな契約が蔓延すれば核保有のメリットがなくなるので、核は自然になくなるだろう。
サックスの持ち味を発揮するにはどうしたらよいか、色々と思いを巡らす。

a)ジャズ
ジャズの世界ではサックスは持ち場があるし、色々な奏者が登場。しかしジャズのもつ起承転結、物語性の不足した世界にはどうも飽き足らない。やはりメリハリが必要。古いジャズからスイングジャズ、フュージョン、スムースジャズ、クールジャズなどと色々なジャンルが発生、その都度サックスの役割も変わった、と思われる。近年、Kenny-GやMALTAなどという才人がでて、それなりの自身の分野を開拓、貢献をなした。両者に共通するのは自身で作曲を手がけたこと。演奏家でありながらサックスの魅力を引き出すには、自分で曲つくりをすることが必要。かつてピアノでショパンやリストがなしたようなことをした。

b)クラッシック
この分野では、演奏家としてMarsalis、須川信也、雲井雅人らがいる。ジャズほどには新分野を開拓するまでには至っていない。まだ過去のクラッシックをサックス用に焼き直しをしているに過ぎない。先般もTVで上野耕平24がバッハの無伴奏を吹いていたが、それもそうした例。バッハの無伴奏などバイオリンですればよいし、むしろその方が感動を呼ぶ、どうしてサックスなのかの必然性がない。音楽を通して何を訴えるのかの原点回帰が必要。

c)ウインドシンセの可能性
小生など、今のジャズにもクラッシクにも飽き足らない。サックスなど捨てて、ウインドシンセに持ち替えたい心境。ウインドシンセなど人工音には世人は耳を持とうとしないが、大きな可能性を秘めている、と思われる。

今後に期待したい。
2016.10.28 メヌエット
クラッシックにも、軽音楽にもメヌエットというのが出てくる。改めてその由来を尋ねてみた。

a)舞踏
ルネサンス・ダンスに、ブランル(Branles)、パヴァーヌ(Pavane)、ガイヤール(Gaillarde)がある。ブランルは民衆の間で「野外の楽しみ」として流行した踊りだったそうで、やがて宮廷の舞踏会に採り入れられた。
バロック・ダンスに、ガヴォット(Gavotto)とメヌエット(Menuet)がある。メヌエット(Menuet)は3拍子の曲だが、踊りでは2小節分の6拍を単位とし、その1拍と3拍で大きなアクセントがある。
ちなみに、フランスのダンス・タイプには、ブレー(Bourrée)、カナリオまたはカナリー(Canario or Canary)、シャコンヌ(Chaconne)、クーラント(Courante)、アントレ・グラーヴ(Entrée grave、フォルラーヌまたはフォルラーナ(Forlane or Forlana)、ガヴォット(Gavotte)、ジグまたはジーグ、ジーガ(Gigue or Giga)、ルール(Loure)、メヌエット(Minuet or Menuet)、ミュゼット(Musette)、パッサカリア(Passacaglia or Passacaille)、パスピエ(Passepied)、リゴドン(Rigaudon)、サラバンド(Sarabande)、タンブーラン(Tambourin)。日本舞踊に色々な派があるように、フランス舞踊にも色々な派があって当然。音楽の名称に、シャコンヌ、ガボットとかパッサカリアなどというのがあるが、その由来に納得。

b)メヌエット
フランス語のムニュエ menuetともいう。3拍子のフランスの舞踊、およびその舞曲。フランス語の menu (小さい) が語源といわれる小幅のステップで、中庸なテンポの優雅な曲に合せて踊る。元来はブランルなどの舞踊に由来するものともいわれ、西部ポワトゥ地方から興り、ルイ 14世の宮廷舞踊に取入れられ、全ヨーロッパに広まった、とある。
交響曲やソナタ、室内楽曲の一つの楽章(第3楽章)にも用いられたが、ベートーベンではスケルツォへと発展した。古典派により交響曲の形式は一応の完成を見た。ハイドンやモーツァルトの交響曲形式は、
第1楽章:ソナタ形式
第2楽章:緩徐楽章(変奏曲または複合三部形式) 調は第1楽章の近親調
第3楽章:メヌエット 主調(第1楽章と同じ調)
第4楽章:ソナタ形式またはロンド形式 主調または同主調
が標準的なものであった。ベートーヴェンは、第3楽章に使われていたメヌエットをスケルツォに変え、古典派の交響曲の形式を完成させた。
上に見るように、メヌエットはクラッシクには取り入れられ、build inされてている。

c)Easy Listening
フランス人のPaul Moriatが盛んに使っている。フランス古来の舞踏音楽だから当然、日本人が民謡風を取り上げるのと同じ。そよ風のメヌエット、バラ色のメヌエット、天使のメヌエット等。

ポールのメヌエットに快感を感じるのは、舞踏曲から来るのかと納得。舞踏というのはあまり日本には親近感がないかも知れないが、欧州ではそうでない。ある東欧での集会に出た時、懇親会で舞踏が始まり、欧州人は踊るのが得意のようであったが、日本人は盆踊り程度しか分からずに、戸惑った経験がある。舞踏と音楽は付き物で、音楽は踊りに合わせて踊り易くしなければならない。その軽快なリズム感が心地よさを提供するのだろう。